「干支」(えんがわ劇場 第199号)

干支の歴史は非常に古く、十干(じっかん)も十二支(じゅうにし)もともに殷墟で発掘された甲骨に記されていました。

殷の時代(紀元前17世紀)の古代中国人は殷羊という羊を飼いながら中国に入った遊牧民族と考えられています。恐らく彼らは草原を求めて羊とともに不慣れな土地を旅したと思われ、その生活は苦難と絶望に満ちたものであったでしょう。

彼らの行動と生活を支えるものは太陽や月明り、きらめく星座、燃える炎の光だけでした。そうしたものがなければ真っ暗闇です。さらに、古代人たちは季節による温度差や日照時間や太陽から発せられる熱量の変化、月の満ち欠けによる周囲の変化、星の位置と季節の変化等々といった天体現象と自分たちの生活との深いかかわりに徐々に気づき始めました。天体知識の理解・蓄積とその活用に自分たちの生活発展が関わってくると認識し始めたのです。

もっとも、殷の時代はまだ狩猟や遊牧が中心で定着して農耕生活をほんの一部でしかしていなかったといわれていますので、恐らく規則的に農耕するようになった、戦国時代(紀元前5世紀~)から漢代(紀元前200年)にかけて古代人たちは日、月、星座の変化や実体をより精緻に観察するということにより、四季の変化や時刻の経過などについて多くの正確な知識を得て、それを農耕生活に生かし始めたのです。実に「暦」の知識の先行思想といえるものなのです。

自然の運行の循環を説明するために「干支」という循環助数詞が導入されたことにより、古代人たちの暦学思考は進化し、より精緻な暦の成立に大きな役割を果たしました。こうしたなかで十干、十二支の文字の解釈も大いに分化発展していきました。とりわけ十二支は天地自然の運行と結びついて解されるようになりました。さらに干支は道教や儒教の影響を受け、一種の経験哲学といて整っていったと考えられます。

さて2021年令和3年の十干十二支は「辛牛(かのとうし)」です。その字義について解説してゆきましょう。

「辛(かのと)」「秋時に万物は成りて熟す」と「説文」にあります。説文学的には、一陽が上を干(おか)す形と見て、現状打破、闘争や犠牲を伴う革新の義です。

辛は刑具に用い、切ったり突いたりする鋭い刃物を描いた象形文字です。辛の字は奴隷や罪人に入れ墨をする道具としています。だから、舌を刃物で刺すような、ピリッとした味のことをこの字を訓読みし「からい」というのです。辛酸、辛辣、辛苦という熟語は、以上のような内容の意味合いがあります。

さらに辛は上を表す二と干と一の会意文字です。干は冒す、一は一陽を表し、説文学的には、一陽が上を干す形とみる。すなわち、今まで下に伏在していた陽エネルギーが色々な矛盾、抑圧を排除して敢然として上に発現する形であり、前年の庚(かのえ)を次ぐ革新を意味します。

「丑(うし)」「はじめ」と読み、事を始めようとする義がある。また紐(ひも)に通じ、「結ぶ」という意もあります。さらに、「やしなう」(畜養)意ともします。出た芽が伸びようと構え養っている様なのです。  説文字から言うと、母のお腹の中にいた胎児が体外へ出て、右手を伸ばした象形文字です。今まで曲がっていた手を生まれて初めて伸ばし、指先に力を入れて強く物を取るというところから「始める」「掴む」「握る」という意味をもっています。一昨年より続く「コロナ禍」!いよいよこの辛い世に解決の糸口が見えてくる。その糸口とは、個人であれ組織であれ、様々な要素を結集し結束しなければならない年といえるでしょう。

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