注意されても忘れてしまう? なぜLさんは他の利用者の車イスを押すのか(えんがわ劇場 第220号)

Lさん(75歳、女性)は、10年前に夫が亡くなるまで、夫婦で八百屋を切り盛りしていました。顔が広く、おまけに非常に面倒見が良くて、困っている人がいたら力になってくれそうな人を紹介するなど、ご近所の方からも頼られる存在でした。

そんなLさんが65歳の頃に道端でつまずき、腰を強く打って圧迫骨折し、1カ月ほど入院しました。それ以来、腰痛のために八百屋を続けていくことが難しくなり、65歳の年の年末に八百屋を閉店しました。それからは、買い物に出かけることも徐々に減りました。明らかに足腰も弱くなり、動くのがおっくうになって、ますます出かける回数が減る――という悪循環にはまり、もの忘れもみられるようになってきました。

68歳のころ「もの忘れ外来」にかかってみると、「アルツハイマー型認知症」との診断がつきました。ある程度の身の回りのことはでき、1人暮らしをしていたのですが、年が経過した頃には、通所介護などの介護サービスによるサポートを受ければ、1人暮らしが続けられるという状況になっていました。

家の場所が分からなくなるということもなく、物がなくなっても「そのうち出てくるわよ」とあまり気に留めないタイプだったため、大きな事故につながる危険性は高くありませんでした。しかし、長女から「熱中症が懸念される夏場だけはショートステイを利用したい」という希望があり、7~8月の間は、平日はショートステイを利用し、週末は長女が泊まりに来る自宅で過ごす、という過ごし方をする方針が決まりました。

ショートステイの利用が始まり、最初の頃は落ち着かない様子だったLさんですが、徐々に利用回数が増えてくると、職員や利用者の顔になんとなくなじみがあるように感じてきたからか、笑顔で会話する場面が増えてきました。

ところが、ある時、職員がふと顔を上げると、Lさんが他の利用者の車イスを押して、廊下を歩いていることに気づきました。

「あぶない! ダメですよ、勝手に車イス押したら。けがしたらどうするんですか」慌てた職員は、急いで駆け寄り、Lさんを注意したそうです。ところが、Lさんが他の利用者の車イスを押すという行動は、ショートステイ中に何度かみられたため、施設の中で対応方法について検討しました。

どうやら、むちゃな操作をしているわけではなく、むやみやたらといろんな人の車イスを押しているわけでもないようです。Aさんがトイレに行きたがっている時間帯に、職員の対応が遅れた時、トイレの方まで押しているということが見えてきました。

最初は、認知症のために「『車イスを勝手に押さないで!』という注意を理解できず、車イスを押してしまう」というものでしたが、「『これは車イスを押してあげた方が良さそうだな』と判断し、行動する」という人物像へと変化していました。

他の利用者が座っている車イスを押す行為は、転倒・転落や外傷などの事故につながりかねないので、「事故が起きたら困る」と職員が考え、注意をするのは、もっともなことです。

しかしながら、Lさんの行動を「車イスを乱暴に扱わず、職員が対応できていない場面で、トイレの近くまで押してくる」と表現し直してみると、どうやら職員にとっては問題に見える行動も、Lさんの面倒見の良さや優しさが垣間見える行動に見えてきます。

そうなると、Lさんにかける言葉も、「やめてください」ではなく「ありがとう」に変わることでしょう。

とかく、認知症がある人の行動は、なんでもかんでも「問題視」されがちです。それは「誰にとっての問題か?」という問いを持ち、起きた出来事を見つめ直してみると、これまで浮かばなかった解決方法が見つかったり、そもそも問題ではないことに気づいたりするものです。

Lさんの行動自体を問題にすることはなくなり、手伝おうとしてくれたLさんの優しさに職員が気づく結果となりました。Lさんが車イスを押そうとする様子に気づいたら、頭ごなしに注意することはなくなり、「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べるようになりました。Lさんも笑顔になる対応に変わったのです。

※下記画像をクリックすると、大きな画像をご覧いただけます。